重なり続ける人の不幸

一昨年以前、珍しく3年ぐらい安定していた。

 

一昨年の夏、前夫が膵臓がんを患った。

もう別れてから10年。

たまーーに連絡は取り合っていたものの、久々の連絡がそれだった。

 

彼には数年同棲している彼女がいたはず。

幸せになって欲しいと心の片隅で応援していました。

 

だけども病気が発覚するちょっと前に別れたらしい。

 

で、なぜか私に連絡がきた。

心細かったのかな。

 

私にもずっと一緒に居る相棒がいるけども、彼は短かったけれど一度は夫婦、家族になった仲。

もう他人だと割り切って思える性格ではない私は、またついつい自分事のように何かできないか考え始める。。

 

彼が住んでいる場所は私からすると未開の地ほど遠く、地理勘もない無縁の土地。

最初の入院連絡の時は欲しい物や困ったことの手助けができれば、とモバイルwifiをレンタルしてあげて病院まで届けに行ったっけ…

 

コロナ全盛期だったからお見舞いもできず、顔も見れず、受付の人に預けて電車とバスで片道2時間ほどかけて往復。

入院生活で今どきスマホが繋がらないと暇死にするかもな、って。

すごく喜んでた。

 

よかった。

 

今の私にできることはこれぐらいかな。

 

時折検査結果や入院生活の報告がきたりする程度で”手術も成功したって言ってたしきっと大丈夫だろう”と信じていた。

 

退院してからの半年間ほど抗がん剤治療をしていたらしいけど、きっと辛かっただろうと思う。

でも人の辛い部分をコピーしてしまう自分の性格を少しわかっていたから、退院していても敢えて会わずにいとこう、って決めていた。

 

そんなこんなで日常を過ごしていたのに、ある日「再検査でステージ4だったよ、余命3ヵ月だって」って連絡が。

 

「え?手術成功してうまくいってるんじゃなかったの?!」

もうまた動かずにはいられなくなっちまった。。

 

先生からは更なる大御所の抗がん剤を試して余命8か月くらいまで伸ばすか、緩和治療に入るか…の選択を迫られたらしい彼は、最初は前者を選択。

でも私も知っている親友の何かの言葉もあってか次の日には後者を選択したと連絡。

 

私も自分だったら後者を選択するだろう、と。

 

ということで1週間後ぐらいに退院をしたとの連絡。

 

そこで初めてもう顔を見ずにはいられなくなり、会いに行くよ、と言葉を掛けました。

 

初めてみる彼のその後の人生があった家や土地。

入院していた病院は彼の住むマンションのほぼ真裏だったことから、モバイルwifiを届けた近くのマンションへ。

 

6~7年ぶりだったかな、最後に会ったのはそのぐらいかと。

話には聞いていたけど一緒に居た頃からちょっとしたことですぐ大げさに体調の悪さをアピールしたりしてたから、言うほど酷くないだろ…なんてタカをくくっていたけど。

 

マンションのエレベーターを降りてから彼の住む階へ足を踏み入れると右も左もわからずキョロキョロしていたら、右側の少し先に人影が。

もやしのように、いや、操り人形のように痩せ細った人がドアを少し開いて換気していた(後から聞いたらドアの建付けが悪くて開きずらいから開けておこうと思ったらしい)

 

”え????まさか人違いだよね???”

聞いていた部屋№を確認するとさっきの人が出入りしていた部屋。。

 

一応インターホンを鳴らすとドアを隔てた先から少し聞きなれた声。

 

「開いてるよー」

声はカスカスだった。

 

恐る恐るドアを開けると先ほどの痩せ細った彼が。

まるで別人の彼がそこに。

 

私の自分を見る反応を伺うかのようにキョトンとした顔で平静を装いながら

「入って入ってー」

 

正直鈍器で殴られたような衝撃があったものの、私も精一杯平静を装って数年ぶりに会ったかのようでもない態度をしてみた、、、つもり。

 

その日は(女ってこうなの?!)人の家なのにすぐ会話をしながら掃除を始めたり、

何か不便そうなところがないか目を光らせたり(笑)

 

彼が気になっていたけど行けていなかった近所の喫茶店に出かけてコーヒーを2杯飲みながら色々な話をしました。

 

彼の眼にはその日の私はどういう態度に映っていただろう…

 

そのまま身の周りの世話をしたい欲求もあったけど、夜は友達との約束があって

彼も喫茶店だけで「疲れた。。。」と言っていたので分かれることにしました。

 

一緒に居た頃は元気でおしゃべりで意気揚々だった彼の面影と、あまりに変わり果てた彼を見てからのギャップとショックについていけず、友達に話を聞いてもらった帰り道、岐路までに彼と同棲結婚生活をしていた駅があったから意味もなく降り立って人目も憚らず大泣きしてしまったっけ。。。

 

どうしていいかわからなかった。

やっぱり会わない方がよかったのかな。

 

こんなことしてるの相棒に失礼だよね。

 

色んな感情が怒涛の如く処理しきれないほどモヤモヤしてきて。

 

ひとつ言えるのは彼に対しては男の愛ではない。

人としての愛。

 

なーんて自分にいいわけしてみたり。

その日からしばらく彼一食単になってしまったのは言うまでもなく。

 

そしてその日から私の辛い日々が始まってしまったのも思った通り。

 

なんで??なんで連絡してきたんだよーーー!!!

強烈な第5ラウンド目の人生が始まった

突然ですが第5~6ラウンドかと思われる生活の変化を経ての人生が始まりました。

3ヵ月程前に父が亡くなり、数年前から認知症の兆候があった母と二人暮らしをすることに…。と言っても母と一緒に実家で暮らすのは18年ぶり。

自宅から車で1時間半弱の距離だから遠からず近からず。

1~2か月に1度ぐらいは帰っていたけども、それは両親揃っていた時のこと。

 

父は亡くなる直前まで(父も心不全や直腸がんを患い中だった)「俺のガンとかなんかより、認知症の方がよっぽど恐ろしい病気だよ。。。」と愚痴をこぼしていた。

 

その父の辛さを今身を持って実感しているところでございます。

 

1ヵ月もたたないうちに気が狂いそうになった。

認知症と言っても病院へ行って正式に診断されたわけではないけども、誰から見ても明らかに認知症症状。

身の周りの事は難なくできるけども。だからまだマシかな

 

ドリフのコントみたいのって本当にあるんだな、と。

 

いや、あれは他人事だから笑えたけどね

 

今はまったく笑えない

 

さっき言ったよね?が1~2分前の出来事。

この会話何十回目だろう、、が1ヵ月の間にいくつも。

 

幸い?だかフルタイムで働いているので四六時中一緒に居るわけではないのが

本当は働きたくないけど幸いと思うしか…ない。

しかも虫けらほどの年金収入しかない母だから、私が耳クソほどの給料を大量に投入しなければいけなくなった。

 

ここ2年ほどとてつもなく辛い出来事が重なり、最後の〆にしてくれ!!!と

思いたい、せっかくの金曜日も飲みに行けず家で観たくもないテレビを母と一緒に観ながら会話をする。

頑張って5日働いてきても週末がぁあぁぁぁ

 

母が寝静まったら自宅へ帰ろう。

日帰りになるけどね。

 

愛猫や相棒の顔見たいし、自宅もズタボロに汚くなっているだろう。

毎週帰っていても私的にズタボロに汚くなっているから。

 

母は一人で寝れないのです、怖いらしい。

だから

 

自分の家で週末ぐらい過ごしたいけど姉の交代要員が見つからないと

日帰りするしかないのです。

 

果てしないと思われるこのステージ

 

色々身体に異変が早くも現れてきているアラフィフでした